住まいと暮らしのQ&A

「実家じまい」という現実。家と記憶に向き合うとき

親の介護や相続が現実味を帯びてくる頃、誰もが一度は考える「実家じまい」。
それは家を手放す作業ではなく、心の整理の時間なのかもしれません。

「そろそろ実家をどうするか考えないと」──いつか、そんな日がやってきます。親の介護が現実味を帯びてくる頃、避けて通れないのが「実家じまい」です。誰かが中心になって動かざるを得ない時、跡取りは注目されます。

「実家じまい」とは、親の家を片付けて売却や解体に向き合うことです。
解体費用や税金、業者、交通費など、実家じまいにかかる費用を書き出すと、出るのはため息ばかりです。親の家なのに、なぜ子どもがこんなに負担するのだろうと思うのは、私だけではないでしょう。

家と向き合うだけでも大変なのに、今度は地域や親戚からの声が追い打ちをかけてきます。
「せっかくの家を壊すなんてもったいない」
「代々続いた家なのに」
「先祖に顔向けできない」
そんな言葉を聞くたびに、罪悪感が募っていきます。守ることが正義か、手放すことが愛なのか──正解のない問いに、眠れない日があるかもしれません。地域や親戚は口は出しても、お金や労力は出してくれません。あくまで他人事です。

兄弟も、そう簡単にはいきません。
「長男でしょ」
「近いでしょ」
「一番迷惑かけたでしょ」
一方的に負担が偏っていきます。不公平だと思いながら、兄弟の関係が少しずつほつれていくのです。
それでも前に進むために、「実家じまい」を始めます。家を片付けるだけでなく、親との思い出や家族の関係と深く向き合う時間です。

仕方ないと理解していても、そう簡単に割り切れるものではありません。費用や労力だけでなく、思い出や感情を背負うからです。
片付けの途中でふと出てくる色あせた写真──幼い私と両親、兄弟、母のハンドクリームやエプロン、父の万年筆や眼鏡。モノですが、捨てるにはあまりに重く、胸を締めつけます。結局はゴミ袋に入れるのですが、「本当にいいのか」と自問する押し問答が続きます。

いよいよ解体となると、まっすぐ見つめることができません。モノだけでなく、声や匂いも消えたような孤独感。その一歩でやっと肩の荷が下りる安堵感。負担も葛藤も大きいけれど、「わかる」と共感してくれる人がいるだけで、ほんの少し肩の荷が軽くなります。そんなに簡単なものじゃないからこそ、今から考えておく――自分のためにも。

土地・建物の片付け相続セミナー【定期開催中】

空き家や土地をどうするか、誰もが直面する大切なテーマです。
ご子息様、ご息女様に苦労をかけない相続をプロが伝授。